Sakuyaの図書室

書物の御紹介

五重塔の美しい面影で知られる寺院 entry 35

第35回目は寺院に関する書物です。

 

一生に一度は行きたい

【 日本の古寺 】100選🍀

 編集長 /山崎 准氏

 編集協力/株式会社 クリエイティブ・スイート

 ©️ TAKARAJIMASHA 2017 Printed in Japan

 

遺産

法相宗大本山奈良県 興福寺

国宝 阿修羅像

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奈良時代

阿修羅像は激しい怒りを表すのが一般的だが、興福寺の阿修羅像はどこか憂いの表情を浮かべ、見る人を惹き付ける。

 

 

かつては藤原家の氏寺

創建1300年を迎えた古刹( こさつ )

 猿沢池に映る五重塔の美しい面影で知られる興福寺は、藤原摂関家ゆかりの名刹。もとは、669年に藤原鎌足 ふじはらのかまたり の夫人・鏡大王 かがみのおおきみ が、夫の病気平癒を祈願して京都の山科に建てた山階寺 やましなでら だった。その後、藤原京遷都の際に飛鳥に移転、さらに710年の平城遷都で現在の地に移り、藤原不比等 ふひと によって寺名も興福寺と改められた。

 元来、藤原家の私寺として伽藍を整備しようとしていた興福寺だが、摂関家としての家柄から官によって手厚く保護され、堂塔の造営は国によって行われることとなる。やがてその勢力は、瞬く間に拡大する。平安時代には、大和国を治めるほどの力をもち、比叡山延暦寺 ひえいざんえんりゃくじ とともに南都北嶺( なんとほくれい )と称される仏教集団となった。

 鎌倉時代に入っても、勢力は衰えなかったが、安土桃山時代豊臣秀吉の検地によって寺領が大きく削減され、幕末に至るまで徐々に勢力を失っていった。さらに、明治維新に伴う神仏分離の動きのなかで、興福寺は境内地以外の寺領をすべて失うこととなった。

 こうした歴史のなかで、興福寺は幾度も戦火や火災に遭う。とくに1180年の平重衡( たいらのしげひら による南都焼討では、伽藍の多くを焼失。現存の堂塔はすべて、これ以降に建てられたものだ。最も古いのは、北円堂と三重塔。鎌倉時代のものでありながら、古式に則って のっとって 建築されており、創建当時のようすを今に伝えている。

 室町時代に再建された東金堂( ひがしこんどう )五重塔は、ともに国宝に指定 。とくに五重塔は高さ50.1メートル、木造の古塔としては京都にある東寺の五重塔に次いで、日本で2番目 の高さを誇る。東金堂の基壇から仰ぎ見ると、雄大さが増して見える。

 興福寺は、天平時代の傑作として有名な阿修羅像をはじめとして、多くの文化財を所有することでも知られる。かつて、食堂のあった場所に、その外観を復元して建てられた国宝館では、旧食堂の 本尊・千手観音菩薩( せんじゅかんのんぼさつぞう )のほか、奈良時代の乾漆八部衆立像( かんしつはちぶしゅうりゅうぞう )や 7世紀の銅造仏頭 など、興福寺の長い歴史を彩る至宝を拝観することができる。

 

 

国宝 東金堂・五重塔

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五重塔は730年に光明皇后が建てたといわれている。

現在見ることができるのは1426年頃に再建されたもの。奈良時代の特徴を随所に見ることができる。

 

 

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猿沢池興福寺五重塔

 

 

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興福寺南円堂前の八重の藤。

ここ興福寺藤原氏の氏寺であるため、藤が植えられている。4月下旬頃に見頃を迎える。

 

 

この古寺ならでは

夏の燈火会( とうかえ )は幽玄の美

毎年、7月中旬から9月の下旬にかけて行われる『 ライトアッププロムナード・なら 』では、興福寺五重塔をはじめ、東大寺春日大社奈良公園などをライトアップ。興福寺国宝館の夜間拝観なども行われる。

 

 

興福寺

住 所 /奈良県奈良市登大路町48

アクセス/近鉄奈良線近鉄奈良駅から徒歩5分

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一生に一度は行きたい

日本の古寺100選

 発 行/2017年8月5日   第1刷

    /2017年11月18日 第2刷

 発行所/株式会社 宝島社

 

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