Sakuyaの図書室

書物の御紹介

河童の国の医者のチャックと漁夫のバッグ entry25

 第25回目はentry16の続きです。


【 河童 】🍀
  著 者/芥川 龍之介氏


 そのうちにやっと気がついてみると、僕は仰向けに倒れたまま、大勢の河童にとり囲まれていました。のみならず太い嘴( くちばし )の上に鼻目金( はなめがね )をかけた河童が一匹、僕の側へ跪き( ひざまずき )ながら、僕の胸へ聴心器を当てていました。
 その河童は僕が目をあいたのを見ると、僕に 静かに という手真似をし、それから誰か後ろにいる河童へ Quax,quax と声をかけました。するとどこからか河童が二匹、担架を持って歩いて来ました。僕はこの担架にのせられたまま、大勢の河童の群がった中を静かに何町か進んで行( ゆ )きました。僕の両側に並んでいる町は少しも銀座通りと違いありません。やはり毛生欅( ぶな )の並み木のかげにいろいろの店が日除けを並べ、そのまた並み木に挟まれた道を自動車が何台も走っているのです。
 やがて僕を載せた担架は細い横町を曲ったと思うと、ある家( うち )の中へ舁ぎ( かつぎ )こまれました。それは後に知ったところによれば、あの鼻目金をかけた河童の家、ーー チヤック という医者の家だったのです。チヤックは僕を小綺麗なベッドの上へ寝かせました。それから何か透明な水薬( みずぐすり )を一杯飲ませました。僕はベッドの上に横たわったなり、チヤックのするままになっていました。実際また僕の体は碌( ろく )に身動きも出来ないほど、節々が痛んでいたのですから。
 チヤックは一日に二、三度は必ず僕を診察に来ました。また三日に一度くらいは僕の最初に見かけた河童、ーー バッグ という漁夫( りょうし )も尋ねて来ました。河童は我々人間が河童のことを知っているよりも遥かに人間のことを知っています。それは我々人間が河童を捕獲することよりもずっと河童が人間を捕獲することが多いためでしょう。捕獲というのは当たらないまでも、我々人間は僕の前にも度々( たびたび )河童の国へ来ているのです。のみならず一生河童の国に住んでいたものも多かったのです。なぜと言って御覧なさい。僕らはただ河童ではない、人間であるという特権のために働かずに食っていられるのです。現にバッグの話によれば、ある若い道路工夫などはやはり偶然この国へ来た後、雌の河童を妻に娶り( めとり )、死ぬまで住んでいたということです。もっともそのまた雌の河童はこの国第一の美人だった上、夫の道路工夫を誤魔化す( ごまかす )のにも妙を極めていたということです。
 僕は一週間ばかりたった後、この国の法律の定めるところにより、《 特別保護住民 》としてチヤックの隣に住むことになりました。
 僕の家( うち )は小さい割にいかにも 瀟洒( しょうしゃ/1 )と出来上がっていました。勿論この国の文明は我々人間の国の文明ーー少なくとも日本の文明などとあまり大差はありません。往来に面した客間の隅には小さいピアノが一台あり、それからまた壁には額縁へ入れた エッティング( 2 )なども懸って( かかって )いました。ただ肝腎の家( うち )をはじめ、テエブルや椅子の寸法も河童の身長に合わせてありますから、子供の部屋に入れられたようにそれだけは不便に思いました。


1.瀟洒( しょうしゃ )/あかぬけてすっきりしているさま。
2.エッティング 英語:etching/銅板を硝酸で腐食させた凹版印刷面の一種。


 僕はいつも日暮れがたになると、この部屋にチヤックやバックを迎え、河童の言葉を習いました。いや、彼らばかりではありません。特別保護住民だった僕に誰も( たれも )皆好奇心を持っていましたから、毎日血圧を調べてもらいに、わざわざチヤックを呼び寄せる ゲエル という硝子会社の社長などもやはりこの部屋へ顔を出したものです。しかし最初の半月ほどの間に一番僕と親しくしたのはやはりあのバッグという漁夫だったのです。
 ある生暖かい日の暮れです。僕はこの部屋のテエブルを中に漁夫のバッグと向い合っていました。するとバッグはどう思ったか、急に黙ってしまった上、大きい目を一層大きくしてじっと僕を見つめました。僕は勿論妙に思いましたから、「 Quax,Bag,quo quel quan?」と言いました。これは日本語に翻訳すれば、 おい、バッグ、どうしたんだ ということです。が、バッグは返事をしません。のみならずいきなり立ち上がると、べろりと舌を出したなり、ちょうど蛙の跳ねるように飛びかかる気色さえ示しました。僕はいよいよ無気味になり、そっと椅子から立ち上がると、一足飛びに戸口へ飛び出そうとしました。ちょうどそこへ顔を出したのは幸いにも医者のチャックです。
こら、バッグ、何をしているのだ?
 チヤックは鼻目金をかけたまま、こういうバッグを睨みつけました。するとバッグは恐れ入ったとみえ、何度も頭へ手をやりながら、こう言ってチャックにあやまるのです。
どうもまことに相すみません。実はこの旦那の気味悪がるのが面白かったものですから、つい調子に乗って悪戯をしたのです。どうか旦那も堪忍してください



  次回へ続きます。


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 河童の国、行ってみたいですね。河童の国も法律があるようでびっくりしました。
 迷いこんだ人間の手当てや保護もしてくれたり、やさしい河童達です。漁夫のバッグは悪戯好きな様ですが、医者のチャックは相談事等ある時には頼れそうですね。
  Sakuya☯️
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 河童
  発 行/1992年9月25日 第1刷
     /2008年6月7日  第14刷
  発行所/株式会社 集英社