Sakuyaの図書室

書物の御紹介

父親の苦悩 entry 37

第37回目は entry36 の続きです。

 

【 日本文学全集  徳田秋声】🍀

 著 者/徳田 秋声氏

 

あらくれ

 その時お島の父親は、どうゆうつもりで水のほとりへなぞ彼女をつれていったのか、今考えてみても父親の心持はもとより解らない。あるいは渡しを向うへ渡って、そこで知合いの家を尋ねてお島の体の始末をする目算であったであろうが、お島はその場合、水を見ている父親の暗い顔の底に、ある可恐しい( おそろしい )惨忍( ざんにん )な思いつきが潜んでいるのではないかと、ふと幼心に感づいて、怯えた。父親の顔には悔恨( かいこん /懊悩( おうのう/ )の色が現れていた。

 赤児のおりから里にやられていたお島は、家へ引き取られてからも、気強い母親に疎まれがちであった。始終めそめそしていたお島は、どうかすると母親から、小さい手に焼火箸( やけひばし/を押しつけられたりした。お島は涙の目で、その火箸を見詰めていながら、剛情にもその手を引っ込めようとはしなかった。それがいっそう母親の憎しみを募( つの )らせずにはおかなかった。

このごうつくばりめ 彼女はじりじりして、そう言って罵った。

 昔は庄屋であったお島の家は、そのころも界隈の人たちから尊敬されていた。祖父が将軍家の出遊びのおりの休憩所として、広々した庭を献納したことなどが、家の由緒に立派な光を添えていた。その地面は今でも市民の遊園地として遺( のこ )っている。庭作りとして、高貴( こうき/の家へ出入りしていたお島の父親は、彼が二度目の妻を、賤( いや )しいところから迎えた。それは彼が、時々酒を飲みに行く、近所のある安料理屋にいる女の一人であった。彼女は家にいてはよく働いたがその身状を誰もよく言うものはなかった。

 お島が今の養家へ貰われてきたのは、渡場( わたしば/でその時行き逢った父親の知合いの男の口入れ( くちいれ/であった。紙漉場( かみすきば / などをもって、細々と暮らしていた養家では、そのころ不思議な利得があって、にわかに身代が太り、地所などをどしどし買い入れた。お島は養親の口から、時々そのおりの不思議を洩れ聞いた。それはまるで作り物語にでもありそうな事件であった。

 ある冬の夕暮れに、放浪( さすらい )の旅に疲れた一人の六部( ろくぶ/が、そこへ一夜の宿を乞い求めた。夜があけてから思いがけないある幸いが、この一家を見舞うであろう由をいい告げて立ち去った。その旅客の迹を追うべく、一つは諸方の神仏に、自分の幸を感謝すべく、同じ巡礼の旅に上ったが、ついにそれらしい人の姿にも出逢わなかった。とにかく、養家はそれからいいことばかりが続いた。ちょいちょい町の人たちへ金を貸し付けたりして、夫婦は財産の殖( )えるのを楽しんだ。

その六部が何者であったかな 養父は稀に門辺へ来る六部などへ、厚く報謝をするおりなどに、そのころのことを想いだして、お島に語り聞かせたが、お島はそんなことには格別の興味もなかった。

 養家へ来てからのお島は、生の親や兄弟たちと顔を合わす機会は、めったになかった。

 

 

1.悔恨( かいこん )/あやまちをくやむこと。

2.懊悩( おうのう )/悩みもだえること。

3.火箸( ひばし )/炭火を挟むのに使う金属製のはし。

4.高貴( こうき )/身分が高くて貴いこと。ねうちがあること。

5.渡場( わたしば )/( 渡し場 )渡し船の発着する所。

6.口入れ( くちいれ )/仲立ちをすること。特に、奉公人を周旋すること。

7.紙漉( かみすき )/和紙をすくこと。また、それを職業とする人。

8.六部( ろくぶ )/六十六部の略。六十六部の法華経を一部ずつ霊地に納めるために諸国の社寺を遍歴する巡礼。後には死後の冥福を祈るため、鉦( かね )や鈴を鳴らし、厨子( 仏像や経巻を入れた両扉の箱 )を負って家ごとに銭を乞い歩いた。

 

 

 

次回へ続きます。

 

 

 

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 お島さんの父親は温和しい( おとなしい )方だったんですね。再婚した女性と先妻さんの子供のお島さんの仲の事で悩み、到頭( とうとう )周旋を頼んだのでしょうけど、再婚した女性の恐ろしさは尋常ではないので、周りの人間の冷たい視野が彼女の心の中を、憎しみに変えてしまったのでしょうか。

 ですが、貰われて行ったお島さんの方は助かりますし、養家も幸いが訪れた家で良かったです。

 それにしても、後妻さんの苛めに堪えようとしたお島さんは、子供の頃から気丈な気質が備わっていた方だったようですが、お島さんの気丈さも並大抵ではないように思います。

   Sakuya☯️

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日本文学全集8 徳田秋声

 印 刷/昭和四十二年十一月 七日

 発 行/昭和四十二年十一月十二日

 ©️ 1967

 発行所/株式会社 集英社