Sakuyaの図書室

書物の御紹介

お島さんの美しさ entry 40

第40回目は 《 entry 38 》 の続きです。

 

 

日本文学全集8 徳田 秋声集 】🍀

 著 者/徳田 秋声氏

 

 

あらくれ 《 entry  38 》の続き

 お島は幼( ちいさ )い時分この作という男に、よく学校の送迎( おくりむかい )などをしてもらったものだが、養父の甥に当たる彼は、長いあいだ製紙の職工として、多くの女工とともに働かされたのみならず、野良仕事や養蚕にも始終苦( こき )使われてきた。そうして気の強い主婦からはがみがみ言われ、お島からは豕( ぶた )か何ぞのように忌( い )み嫌われた。絶え間のない労働に堪( た )えかねて、彼はどうかすると気分がわるいといって、少し遅くまで寝ているようなことがあると、主婦のおとらはじきに気荒く罵った。

おいおい、この忙( せわ )しいのに寝ている奴があるかよ。旧( もと )を考えてみろ

 おとらは作の隠れて寝ている物置のような汚いその部屋を覗きこみながらいつものお定例( きまり )を言って呶鳴( どな )った。甲走( かんばし )ったその声が、彼の脳天までぴんと響いた。作は主人の兄にあたるやくざ者と、どこのものとも知れぬ旅芸人の女との間( なか )にできた子供であった。彼の父親は賭博( とばく )や女に身上( しんしょう )を入り揚げて、そのころから弟の厄介ものであったが、ある時身寄を頼って、上州の方へ稼ぎに行っていたおりにその女に引っかかって、それから乞食のように零落( おちぶ )れて、間もなくまた二人でこの町へ複( かえ )ってきた。その時身重であったその女が、作を産みおとしてからほどなく、子供を弟の家に置去りに、どこともなく旅へ出ていった。男が病気で死んだという報知( しらせ )が、木更津( きさらず )の方から来たのは、それから二三年も経ってからであった。

 お島はおとらが、そのころのことを何かのおりには作に言い聞かせているのをよく聞いた。おとらは兄夫婦が、汽車にも得乗( えの )らず、夏の暑い日と、野原の荒い風に焼けやつれた黝( くろ )い顔をして、疲れきった足を引きずりながら這いこんできた光景を、口癖のように作に語って聞かせた。少しでも怠けたり、ずるけたりするとそれを持ちだした。

あの衆( しゅ )といっしょだったら、お前だって今ごろは乞食でもしていたろうよ。それでも生みの親が恋しいと思うなら、いつだって行くがいい

 作は親のことを言いだされると、時々ぽろぽろ涙を流していたものだが、しまいにはえへへと笑って聞いていた。

 作はそんなに醜い男ではなかったが、いじけて育ったのと、発育盛りを劇( はげ )しい労働に苦( こき )使われて営養が不十分であったので、皮膚の色沢( いろつや )が悪く、青春期に達しても、ばさばさしたような目に潤いがなかった。主人に吩咐( いいつ )かって、雨降りに学校へ迎えに行ったり、宵に遊びほうけて、いつまでも近所に姿のみえないおりなどは、遠くまで捜しにいったりして、負( おぶ )ったり抱いたりしてきたお島の、手足や髪の見ちがえるほど美しく肉ずき伸びてゆくのがもの希( めずら )しくふと彼の目に映った。たっぷりしたその髪を島田に結って、なまめかしい八つ口から、むっちりした肱( ひじ )を見せながら、襷( たすき )がけで働いているお島の姿が、長いあいだ彼の心を苦しめてきた、彼女に対する淡い嫉妬( しっと )をさえ、吸い取るように拭( ぬぐ )ってしまった。それまで彼はれっきとした生みの親のある、家の後取娘として、何かにつけておとらから衒( ひけ )らかすように、隔てをおかれるお島を、詛( のろ )わしくも思っていた。

 

 

 

次回へ続きます。

 

 

 

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 作さんはおとらさんに罵られた時、笑って聞き流せるようになれても、お島さんに対しては嫉妬心があったんですね。でも、お島さんの美しさを前にして、作さんの心は揺れ動いてしまったようですが、作さんの心を動かしたお島さんの美しさとは、向日葵のような美しさなのではないかと思います。

  Sakuya

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日本文学全集8 徳田秋声

 発 行/昭和四十二年十一月十二日

 発行所/株式会社 集英社

 ©️ 1967